未知の発見の快楽
哲学とは、気付きの最たるものであると捉えている。
物理的発見の齎す快感の度合いが、哲学思想による思考の拡張に遥かに見劣る為だ。
先日ツイッターでバズった、
大人になって、野菜食べたら健康になるし勉強は本当に大事だし etc 伏線回収的な快感がすごいから大人がネタバレしたくなるのもわかる。
なるツイートがあった。
唐突に世俗的な内容を挿入したのを挿入した意味は、
物理的な発見(体験に基づく)と理論的な発見(新たに得た情報による発見)の快感度についての具体的な内容の提示のためだ。
私が情報的未知の発見にこだわるのは、私がモノよりも情報の知的財産の価値を深く認めているからと推測できる。
モノの用途がモノそのものに設定されているか、その用途を自分で考え出せるかの違いに人間の価値が出てくるだろう。
話を飛躍させてしまったが、情報を得ることも基本的には能動的なアクションが必須なので、私はとりあえず風呂に入ってこようと思う。
肉体が簡単に鍛えられないのに、精神が簡単に鍛えられると思うのは浅はかだ。