まぁゆっくりしていけ(^し^)

適当に書き連ねさせて頂きたく早漏

虚無の暗黒との戦い

深夜2時。明日も6時半起きだが、ツイッターで見かけた話題について、discord投稿用も兼ねて雑記しておく。




創作アカウントの方で見つけたツイート、
小説投稿グループ内の話で、なろうに投稿した仲間内の作品に相互に評価を付けているグループがあるらしい。


これはサイト規約に違反している行為でBANの対象だ。


グループなんてネット上の繋がりで、今回のようにメンバー1人のツイートから拡散してバレてしまうなんてわかり易いリスクもあるのに、何故このような事をするのか。


その答えを辿っていくとあるキーワードに辿り着く。


それが『虚無の暗黒』だ。




虚無の暗黒というのは、
簡単に言うと『投稿作品への無反応』である。
検索すればもっとしっかり纏めてくれている人が出てくるので、そちらを参照して欲しい。




人というのは悲しいもので、自分の中の衝動で始めた創作活動のエンジンはいつしか切れるものだ。


いくら頑張ってもエンジンがかからず、その衝動もいつしか風化して廃棄してしまうのが大半だ。


昨今、若者が何らかの娯楽作品に全く触れないことなどそうは無く、それに対して大小様々な感銘を受けて日々を過ごす。
それは歌であったり映像であったり絵であったり、文字であったり。


少し逸れるが、
私は最近、友人から消費者コンプレックスという概念を教えて貰った。
元は卯月コウというVTuberからだそうだが、この言葉は現代の創作者にガッチリと当て嵌るモノを感じる。


未だしっかりと定着はしていない(そのリスナーと悩める創作界隈で認知されている程度)が、
言語化能力の高さと着眼点にセンスを感じる。
私は未視聴の非リスナーだが、こうした点を抑えている辺りに、現代で売れていく要素を孕んでいるのだろう。




本題に戻る。
この『消費者コンプレックス』を出したのは、
無論『虚無の暗黒』に繋がるからであるが、そもそも消費者コンプレックスとはなにか。
読んで字のごとく、消費者であることへのコンプレックスだ。


説明するまでも無いだろうが多少書くと、
何らかの作品を見て影響されて、
(なんで自分はこうした作品を見る側に居るのだろう)
(このくらいなら自分でも作れるのでは?)

となる事(これも検索すれば虚無の暗黒程ではないが諸々出てくる)だ。




こうした単純な劣等感と謎の自意識に触発されてエンジンが始動。
盛大に事故って悩めるソクラテスになる訳だ。


まぁ、根本的な話、衝動だろうが劣等感だろうが創作活動自体は良い事だし、媒体はなんであれ積んだ時間に比例して経験と技術はちゃんと身に付くだろう。




しかし、得てしてそうした絶好調の勢いが段々と冷えていく挫折感は感情として辛いものだ。
ましてや自分の中の理想や努力の結果を原動力となった『作品』と比べた日には、自分への絶望で創作以外の部分に支障が出るなんて事も考えられる。


そうした事を考えていくと、最初に書いたような悲しい傷の舐め合いをしてしまうのも理解出来るのではないだろうか。




こうした創作への想いを折られた多様なルサンチマンの先駆者の中で、そこから這い上がった有名な作品がある。




それが『ニンジャスレイヤー』である。

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC

ニンジャスレイヤーって何?という方へ簡単に解説すると、
海外の人が考えた典型的な『間違った日本』で繰り広げられる独特なアクが癖になるサイバーパンク小説だ。




この作品、今でこそ知名度は高くアニメにもなり、根強いファンの多いコンテンツとなったが……


この作品の『翻訳』の地獄っぷりが、
『虚無の暗黒』という創作者への呪いとも言えるワードを生み出した。




下記のリンクはその地獄の日々と、その地獄からどう抜け出したかを翻訳チームが書いてくれた記事の再掲だ。




ここに、全ての創作者に伝わるべきものが詰まっていると思う。


https://diehardtales.com/n/nb16fc6d57e58





この作品飽和時代、
ユビキタス社会ではSNSYouTubeなどを通し、日夜新たな『作品』が排出されている。


目を向けられたい心も、自身の理想との乖離もあるだろう。

どこに自分を据えるか。考えてみて欲しい。