芥川賞・直木賞の決定を知り、自分の文学への認識を改める。
芥川賞には、
高山羽根子さんの「首里の馬」
遠野遥さんの「破局」が、
昨日、地元の蔦屋に行った時には在庫はどれも無かった。読みたかったのは「破局」だけだったが。
この話の続きをする前に。
私が2年ぶりにこのブログを更新することになった推移について、自分の現在について書いておく。
つい、2ヶ月ほど前。
高校からの友人とApex legendというゲームをやっていた私は、疲れたとゲームを中断し、自身の現状を語らせて貰った。
この時の私には悩みがあった。
就職し、新卒社会人として単身、田舎に移り住み一人暮らしを始めた私。
年下の同期とのふとした会話の中で、私が「働く意味」というものを持っていないことに気が付いた。
仕事は私の目標としていたものに就けた。
中学を卒業する前に、私が「やりたい事」の方向性は掴んでいた。
それに関連する資格を取れる高校を選び、高校の卒業後は、その分野の専門学校へ2年通った。
それまでの人生の目標が、そのやりたかった仕事をやる為の「就職」だった為、それが達成された今、私は何のために働くのか。その意義について考えたことがなかった。まさに目からウロコだった。
大げさに言えば、生きる目標が無くなってしまったのだ。
ということを、かいつまんで語った。
その友人は親切にも共に悩んでくれ、やがてひとつの答えに辿り着いた。
それが、文章創作グループ「Scriber works」の設立だった。
というのが2ヶ月前の話。
SNSと私自身のちぢれた人付き合いとを総活用し、現在、メンバーは8人という世帯になり、各々が想い想いの作品を投稿している。
このグループで私は便宜上、「管理人」という立場になった。
設立に直接携わったので当然といえば当然だろう。不満も無い。
しかし問題はあった。
このグループに加入した際、最初に目にする[ルール]から引用する。
「Scriber works」は、自身に降ってきた物語のアイデアを[記す・書き留める]事をし、それをグループに公開、批評していくルーティンを【継続】して行っていくグループです。
となっている。
この[ルール]の中には、『目的』が無いのだ。
これには私なりの意図があり、個人単位で明確な目標を持ってもらい、それの一助として【継続】を促すというものだ。
実際に加入したメンバーの全員がちゃんと目を通したかは別として。
この『目的』の意図が伝わったか伝わらないかは分からない。
しかし、目的も無しに創作活動が継続出来るだろうか。
「誰かに見て欲しい」「自分の世界を褒められたい
」
創作活動は、こうした承認欲求から始まる事が多い。
しかし、多くの同志が潰れるのも同じく承認欲求だろう。
あるいは、自分の思う理想の「世界」を体現して満足する人もいるだろう。
そういう人は長続きする。
関心は外に向いておらず、全てが内で完結しているからだ。後は『継続』するのみだろう。
私にも理想が、目標がある。
文章で人を唸らせる、人を変える。
そんな文章を、世界を書きたいのだ。
私がそうだったから。
その理想のために私は文章を書く。
その一助として「Scriber works」を立ち上げた。
私の理想の為、生きていく意味の為に文章を書く。
理想のために、共に歩んでくれる道連れが欲しかった。
あとは、『継続』だけだ。
目的意識も無く、歩めるのは強者だ。
最強の武器、「好き」を持っている。
現に、私は「好き」で今の仕事を勝ち取った。
多くの資格も取った。
文章に関しては、「出会い」を求めている節がある。
美しい言葉、文章、驚かせてくれる表現。
そうしたものを私も生み出したい。
これは紛れもない「好き」だが、どちらかといえば受け手側の感情だ。
これを成就させ、理想を成し遂げるには、少なくとも私が就職を意識した中学3年から現在までの6年間と同等の力を持ってして、ようやく形になる気がする。
単純計算ですらないが、そのくらいの意識はあった方がいいだろう。
高校の時の私のセリフを思い出す。
「俺は将来、ウィキペディアに載る!」
理想で現実は変わらない。
書いて読んで、全てを貪欲に摂取して着実に世界を見聴きする。
諦めるのは何時でも出来るから、歪でも形に。
賞、取れる未来はあるのだろうか。